もともと家内の実家が建設業を営んでいたことから、この仕事に携わるようになり、そこから独立したことで今の会社が始まりました。
今では安全第一のこの業界ではありますが、鳶と言う職業は常に危険と隣り合わせで、特に始めたばかりの若い頃、12階から落ちて九死に一生を得たという経験もしました。
ある時、元請けさんが倒産し、1000万円近い負債をかかえ、もうダメかと思ったこともありましたが、周りの人たちや運にも恵まれ、なんとか乗り越えることができました。
それが今までで一番辛かったエピソードです。
仕事をしていて嬉しかったことといえば、うちのチームワークと技術力、その場その場での判断力が買われ、大きな仕事を任せていただけたことです。
それは、大阪と神戸を結ぶ港大橋の塗替え工事を請け負った時の出来事です。
とても厄介な現場で、海上80メートルほどの所でぶら下がり、夜勤で足場を作るのがすごく大変なところでした。
その時何社かの業者が入っていましたが、次の工事の際に指名がかかるようになり、仕事の評価をして頂けたと感謝しています。
その時思ったことは、他とうちが違っているのは、一人ひとりの職人が一定以上の技術を持っていて、寄せ集めではなくチームワークがあるということ。
難しい案件でもどうしようか現場で考え、仕事を完成させる力があるということです。
嬉しいことに、この時の仕事はちゃんと評価され表彰も受けました。
そして最近では、ある元請け会社から『無事故』を評価され表彰をうけました。
やはり、鳶職は一番事故が多いので、事故があるたびに社内で注意喚起してきました。
それが無事故に繋がり、評価されるということはとても名誉で嬉しいことです。
私には息子が二人おりますが、私の仕事を継いでほしいと思った事はありません。
危険な仕事だからという意味ではなく、敷いてもらった線路に乗っからず、自分の生きる道は自分の力で切り開いてほしいからです。
今ではその思いを汲んで、そのように生きてくれています。
将来的には当社で働いてくれている従業員についても、一人ひとりが独立していってもらうことが目標ですね。
人の指示で仕事するばかりでなく、自分で考えて仕事を組み立てる人へと成長してほしい、そんな気持ちで日々一緒に仕事をしています。
(有限会社西久保組 代表取締役 西久保 博幸)
又、作業にあたっては、常に近隣対策に対しても積極的に努力するように、常に社員に教育しております。
作業中には、必ず安全帯の着用、挨拶は大声で、私語を慎み作業態度にも気をつけ、作業を安心して見守れるような行動をします。
これらの行動により無事故につながるよう、心がけています。
万が一に備え労災保険、傷害保険、賠償責任保険に加入し、建退共も加入しています。